ビルマ(ミャンマー)に暮らしたこと その2
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 ミャンマーの国旗          
ビルマ(ミャンマー)に暮らしたこと


 それはもう、30年以上前のことです。 

 まだ、ビルマと呼ばれていた国が、私が生まれて初めて訪れた外国でした。

「結婚したら、いくらでも海外に行けるよ」と言うパートナーの甘い言葉に、すっかり乗せられた私でした。
 仕事のため夫がビルマに旅立ったのは、成田空港が開港した年でしたが、管制塔を反対派に破壊され、予定の成田空港ではなく羽田空港からでした。

 夫に遅れること3ヶ月。成田空港は再び開港となりましたが、見送りの家族達は箱崎までと制限されており、私はただひとりバスに乗り込みました。まわりの楽しそうな、これから旅だぞ♪ワイワイピープルを横目に、 シクシク涙が止まらない、まだ可愛い頃でした。


 タイ・バンコクの空港で、JALからビルマ航空機へと乗り換えです。
広い空港の端っこにちんまりと待っていてくれたのは、『フォッカー25』というイギリスの戦闘機のお古で、国営ビルマ航空の国際線でした。

席に着くと、ハエと蚊の盛大な歓迎が。

CAさんは、さすが国営の公務員さん、関取級のめがねのおば様でロンジー(ビルマの腰巻)のお尻が見事です。

  そして、いよいよ離陸・・その瞬間、乗客の割れんばかりの拍手!!・・・えっ!

コックピットの仕切りはカーテンで、機体がゆれる度ザーッと開くので、パイロットさんのお姿が拝見できると言う、大変貴重な経験ができました。

パサパサの硬いサンドイッチの機内食をかじりつつ、約1時間。さあ、ラングーン(ヤンゴン)です。思いがけない、すんなりの着陸に、思いっきりの拍手・・・私もしっかり参加してしまいました。
馬小屋風の空港には、迎えの夫がタラップの下まで来てくれており、私のビルマ暮らしの第一歩がスタートしました。

 「ビルマに駐在したら、その先、世界中どこへ行っても大丈夫よ」

 と仰った上司夫人の言葉を静かに噛みしめておりました。


 お蔭様で、30数年後の今年は、インド、インドネシア、トルコ、チベットを旅し、年末には友達7人をインドネシア・ジャカルタ(そこにも住んでいました)に案内する予定です。どこに行っても、お腹も壊さず、高地へ行っても高山病にもならず、チベットの青蔵鉄道では標高5072m地点を満喫してきました。


 機会がありましたら、またビルマのおかしな生活編、書かせて頂きたいと思っております。宜しくお願い致します。

                               (平成241025日 山口寿子)

                                 
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