ビルマ(ミャンマー)に暮らしたこと

                                            インドネシアに暮らしたこと
                               コントラクト・ブリッジのお話 のページへ

     ビルマ(ミャンマー)に暮らしたこと その2
                 〜使用人と暮らす 編〜
                                                                                  
またまた、お古いお話で失礼致します。


 空港から、真っ暗なガタガタ道を、夫お抱えのインド人の運転手の車に揺られ海外で初めての我が家へ。出迎えてくれたのは、門番の青年と、庭師のおじいちゃん夫婦、そして物凄く太ったインド人のコックさんと、可愛らしいビルマ族の女中さんでした。
薄暗く古い家でしたが、広さだけはたいしたものです。しかも地下室があり、だだっ広くて、なにやら恐ろしく今でも夢に見るほどです。日本式にいえば、5LDK位だったでしょうか?庭には、バナナやパパイヤ、扇椰子等が美しく庭を彩っていました。庭師夫婦と門番と運転手は、私たちの帰国まで、それは親切に、まめに良く働いてくれました。

それにしても、門番の名前の「コウ・ニョウモン」には、びっくりしました。
ちなみに、ビルマでは名前の前に、男性の目上の人には「ウー」、目下の人には「コー」女性の目上の人には「ドゥ」、目下の人には「マ」をつけます。
コックの名前は「ドゥ・ヌー」、女中さんは「マ・ポートゥ」、庭師は「ウー・ポロ」、運転手は「ラジュー」(彼はなぜ、ウーがつかなかったのかしら?)、です。


さあ、使用人さん達との暮らしが始まりました。

 中でも、一番偉いのは、コックです。彼女からの報告によると、私の送った荷物はシロアリが食べてしまって、ほとんど無いというのです!物資の少ない国と言う事で、日本から4回に分けて船便で沢山の荷物を送ったのですが・・・。また曰く、夫ひとりの時、お米を月16s買っていたのだが、マダム(私のこと)が来たから32kgに増やしてくれと。日本では、二人で5sもあれば、余っていたのに・・・。前任の奥様が、日本料理をとても良く教えて下さっていたので、彼女の料理の腕はたいしたものでした。しかし、私が来て一ヶ月もしないうちに、やめると言うのです。残念ですが、まあ仕方ないなぁとあきらめました。


 そして、コックお引越しの日、なにげなく家の裏の方を見ていました。
ちなみに、使用人さん達は、我が家の裏の「サーヴァント・クォーター」と言う使用人の為の4軒の長屋のような家に、それぞれ住んでいます。
すると、彼女の家から、な、なんと30人位の人々(たぶん親族でしょう)がゾロゾロ出ていくのです。あげくに、どこから調達したのか、大きなトラックに満載した大量の荷物を運んで行ってしまいました。

 数日後、市場に買物に行きましたら、西友やらダイエーやらの値札の付いた品物が沢山売られているではありませんか!!「サンポール」(トイレの洗剤)があったので、わざと「これ何に使うの?」と聞くと、「シャンプー、頭洗うの」って・・・・なぬっ!! まあ、勝手にしたらと思いましたが。

また、見覚えのある私の食器を見つけた時には、もう笑ってしまいました。その後、コックにしてくれという、「マ・ポートゥ」をしばらく使っていましたが、やはり沢山の我が家の物を持って、やめて行きました。代わりに来てくれたのは、カレン族(庭師と門番もカレン族)の、とても性格の良い、働き者の姉妹でしたが、全く料理の才能がありませんでした。私はまだ子供もいませんでしたし、自分で料理することで、彼女達と帰国まで仲良く暮らしました。

 と、書くと料理をするのは当たり前だろうと怒られそうですが、ほとんど外食の出来ないビルマでは、駐在員の妻の責務は、パーティー、お茶会等など、絶えず我が家で料理の接待をすることでしたから、それはそれは大変でした。

 お呼びするお客様は、大使館の方から、会社関係の方、奥様同士のお付き合い等など週に2〜3回は大人数の料理を作らなくてはなりません。しかも、その頃のビルマでは生鮮品は市場に買いに行かねばならず、肉などは(牛肉は特に)とても硬くてそのままでは食べることが出来ません。そこで、肉をパパイヤの葉っぱに一晩包んで寝かせ、それを冷凍し、半解凍の状態でスライスします。鶏は、生きたまま買ってきて庭師のおじいちゃんに預け、肉の部分だけ貰います。魚をすり身にしてかまぼこにしたり、こんにゃくや豆腐、和菓子、洋菓子等など、何でも作りました。時には30人以上のお客様をお招きすることもあり、朝5:00頃から、お客様のいらっしゃる時間ぎりぎりまで、台所を這いずり回っていたものです。

 家はとても広く、使用人を使って、とても贅沢な暮らしをしていると思われるでしょう。しかし、家の中で私の普段いる場所は、ベッドルームのみ。なぜなら、居間等に出て行くと女中さん達が「御用はなに?」と跳んでくるからです。申し訳ないので、「夢のワンルーム」でおとなしくしているか、ブリッジなどをしに出掛けていました。
ブリッジ?後に私が夢中になった「コントラクト・ブリッジ」を始めるきっかけは、ビルマ駐在でした。


 また、機会がありましたら、ブリッジのご紹介を致しましょうか。

今ではすっかり主婦を卒業していますが、そんな健気な時もあったと懐かしく思い出します
帰国の際には、使用人の皆から沢山のお土産をもらい、涙、涙で別れました。
ANAの直行便も就航したことですし、もし出来るなら、使用人の皆に会ってみたいなと思う今日この頃です。

                               (平成251日 山口寿子)

                                 
日生興産HPへ戻る


東京都知事免許(9)第40260号
日生興産株式会社
〒171-0014 東京都豊島区池袋2-49-13 (池袋駅北口平和通り)
TEL 03-3985-5741 FAX 03-3985-5742
営業時間 10時〜19時(日・祝祭日休み)
E-mail: office@nissei-kousan.co.jp